今日「朝風理沙」でググッたら
ハヤテ×理沙の小説(健全)を発見。
もしハヤテが第一話でナギではなく理沙に拾われていたら…というお話。
読んでみるとよろし↓
http://ncode.syosetu.com/n8775e/novel.htmlううむ、やっぱりちゃんとした小説書ける人はすげーや。
しかもこれだけじゃなくて他にも結構たくさん…すごいですよ
「ユーリ」先生!
…それにしてもこの小説では理沙はハヤテに心を許していくにつれて
しだいに口調の変化が見られますが、その辺りどうなんでしょう?
果たして理沙は真に好きな人を見つけた時、今の口調を貫きとおすのか、
それとも女の子らしい口調を使い始めるのか…
おそらく原作では語られることはないから想像することしかできないんですが、
……なるほど、これが哲学ってやつか…!(違
ちなみに僕は今のありのままの理沙ちんが大好きです。
いや、待てよ、今のあの口調、実は無理して使っているのだとしたら
逆に女の子らしい口調の理沙がありのままの理沙となるわけで…
………深い!
やっぱりこれは哲学…!(違
たいとる:絵描き>字書き?字書きっていうのは同人世界における小説書きの人のことですね。
同人界隈たまにで「絵が描けないから字書きになった」みたいなこと
いう人がいるから絵描き>字書きみたいな図式が出来上がってるそうなんですけど、
僕はそんな図式はクソ食らえだと思っています。うんていうかクソですね。はい。
なぜならそんなのはただの分野の選択、表現の選択に過ぎないからです。
すべての創作活動は素人が一朝一夕でいきなりできるようになるものではなく、
(天才と呼ばれる人は違うのでしょうが。)したがって絵と同じように
小説だってきちんとした書き方があって、ド素人に書けるようなものではないのです。
もちろん、小説を書くための勉強をしていない僕には到底かけません。
だから絵描きが字書きより優れているなんてことは全くないのです。
…なんでこんなことを言うかというと、
どうも「字が書ける=小説(文章)が書ける」と勘違いする人がたまにいるからです。
例を挙げると、前に中学の同級生と会ったとき、
「今俺同人活動してんだよね~」みたいなことを軽々しく言ったら、
「まじで?俺もやろうかな?お前みたいに絵は描けないけど小説なら余裕だろうし…」
みたいなことをほざいた奴がいたのを思い出したので。
またそういう奴に限って一本の小説も書き上げることが
できないから困ったもんだ。
マジでそいつには世界中の小説家および真剣に小説書いてる人たちに
土下座してほしいわー…。
まぁこんなところで思いを捌けても意味なんてないんだろうけど。
直接言うと人間関係が崩壊しそうなんで…ね。
ここでも中途半端な芸術家きどりですね、わかります。